「しょほう」第1号 「所報」第1号
川崎市教育研究所 川崎市総合教育センター
昭和36年4月25日発行 昭和61年6月16日発行
(前略)時代は速報性をも要請していた。(中略)市内の研究情報をスピーディに現場に届けてほしいという要望が強くなってきたのである。これを受けて昭和36年4月から発行にふみ切ったのが「しょほう」である。

【速報性を求めて】
・昭和36年4月から37年3月まで、12回発行 ・タイブ印刷 ・B5判 4頁 ・発行部数 各号 100部 
・編集担当 各研究員会輪番 ・題字 所長 大内昌雄
 この第1号を見ると、一面見出しは「教育研究所36年度事業計画きまる −算数・数学を全国共同 研究として−」とあり、項目の内容として 
T、研究調査(科学技術教育・特殊教育・学習指導課程・勤労青少年教育・進路指導・ 郷土 読本) 
U、教職員研修 
V、教育相談に分かれ、それぞれのテーマと担当者氏名が掲載されている
 ニ面には、研究員氏名一覧及び昭和36年度川崎市教育委員会研究指定校一覧が、教 科別・校種別に掲載され、三面には、「内地留学生紹介(その1)」として、研究所から派遣される内地留学生の研究テーマ及びその内容の紹介記事がある。
 四面は、特色のある研究を行っている市内の学校を拾う「学校展望」(後に学校寸描になる)と、研究情報の交換を意図した「掲示板」からなっている。
 このように、発行の目的の「速報性」と「広報性」をふまえ、毎号教科研究会の本年度の方向、研 究所各研究員会の内容紹介、各校研究発表会の模様など、タイミソグをとらえて報じている。なかでも、学校訪問記は多くの読者に深い感動を与え愛読された。
 そして、12号「掲示板」は、「4月からは新しいスタイルでお目にかかれることと思います。変わらぬご支援をおねがいいたします」と新年度への予告を掲げて終わっている。

【読みやすさを加えて】

 ・昭和37年4月から51年4月まで、155回・活版印刷(一部タイブ印刷)
 ・B5判 6頁(一部4頁) ・編集担当「しょほう」研究員及び各研究員会輪番。
タイブ印刷で出発した「しょほう」には、読者からいろいろと注文があった。なかでも、紙質が悪く、タイブ印刷では読みづらい。活版印刷にできないものかという声が多かった。当然、内部でも検討を加え、ともかく新年度第1号は活版でということになる。その一面が有名な「しょほうとはそも何」であった。
 創刊の「掲示板」に、『しょほうはもろもろの報であり、川崎市教育の向上発展のため、広くお知らせするべき事柄を、研究所・教科研究会・各学校などから集め、毎月ご紹介いたします』とは記しておいたものの、実際にはその趣旨が必ずしも十分理解されてはいなかった。その理由の一つには、配布部数が1校1部という極めて僅少であったこともあるが、そこで改めて「しょほうとはそも何」を載せたわけである。

 「しょほう」は昭和42年3月まで続く。この間で特筆すべきものは、大内所長執筆のコラム「波紋」であった。寸鉄人を刺す言辞は、多くの校長の愛読するところとなり、毎号のように反響があった。
 「しょほう」は、昭和42年4月から「教育研究所報」と改称される。その意図について、60号の編集後記に次のように述べている。
 『教育研究』と『しょほう』を合併して『教育研究所報』としました。両誌面の性格がかなりあいまいでしたが、一本化しましたので、これからは研究所事業の紹介と川崎市の教育現場に胚胎している問題点の追求という目的をもって、がんばっていきたいと思います
 たしかに、内容も充実し、各号のページ数も6頁又は8頁と伸びていく。

【増える情報量に対応して】
 ・昭和51年6月から昭和61年3月まで、72回・タブロイド判 4頁又は6頁に対応して・発行 部数 当初5500部・編集担当 各研究部輪番及び全所員。
 広報誌は時代のニーズに応えなければならない。増大する情報量にどう対処していくかが問題となる。従来の所報に情報誌としての性格を付加することは、これまでの紙面では不可能であった。そこでより多くの読者により多く読まれる所報をめざして、一挙に紙面の拡大を図り、発行部数も市内全教職員一人一部を考え増刷にふみ切ることとした。まさに紙の弾丸として送り届けたのである。それとともに名称も、創刊の「しょほう」に戻した。記事では、毎号執筆していた小川所長から森久保所長に続くコラムは多くの教師から好評を博し、スクラップブックを作る者もいたほどであった。また、200号を記念して「しょほう200号に寄せて」と題した森久保所長と倉澤栄吉氏(文教大教授)との対談は、研究所の広報誌のあり方を明確に打ち出し、多くの教育研究所関係者に対して示唆に富む提言ともなった。

 昭和36年4月創刊以来25年間続いた「しょほう」は、通算239号を数えて終わる。昭和61年3月31日付の最終号は、川崎市総合教育センター完成を報じながら、「筆跡」欄で「『愛され、期待されるしょほうに脱皮するため、一方通行でないものにする努力をあくことなく続けてほしい』という声は、今なお新たな課題であろう。」(24号)と結んでいる。
        [前掲書 P264〜P267]
「『しょほう』『所報』」の沿革については、平成2年3月31日発行の『川崎市教育研究所史』
が詳しい。