創立30周年記念地域学習誌 にしのがわ WEB版  3.学校のうつりかわり
西野川小学校ができる前は、 どこの学校に通っていたのかな。


盛隆学舎のあった西福寺




昔の教科書(昭和16年)




野川小学校(昭和44年)
  


野川分教場の校舎の様子
 (昭和13年頃)




給食が始まる(昭和27年)




開校前の西野川小学校
 (昭和55年)
 ・ 寺子屋
     (千年と馬絹にありました)

 ・ 明治6年 盛隆学舎

 ・ 明治8年 盛隆学校

 ・ 明治22年
   宮前村立尋常盛隆小学校


    ・ 明治36年
     高等明治小学校

 ・ 大正3年
   宮前村立高等宮前小学校
    野川分教場

 ・ 昭和13年
   川崎市立
    宮崎尋常高等小学校
     野川分教場

 ・ 昭和16年
   宮崎国民学校野川分教場

 ・ 昭和19年 野川国民学校

 ・ 昭和22年 野川小学校


   ・ 昭和44年 久末小学校

   ・ 昭和47年 梶ヶ谷小学校

   ・ 昭和48年 南野川小学校

 ・ 昭和55年 西野川小学校
どうして西野川小学校は できたのかな。
 野川小学校では、児童数が増えたため、校舎を増築して教室を確保しました。
 それでも児童数が増え続けたため、西野川小学校が造られることになりました。
 田畑を潰さないで、谷戸に小学校と中学校を造ることになったため、大量の土砂が必要となり、2年以上の大工事になりました。
 大掛かりな工事でしたが、地域の人々の理解と協力によって、ようやく校舎が完成しました。

昭和52年4月15日

昭和52年6月20日

昭和53年8月1日

野川小とのおわかれ式

西野川小へ向かう子どもたち
はじめて入る新しい学校
整備される校舎の周り

開校の準備

開校記念植樹

開校記念式

開校記念撮影

         安齊 久男さん(西野川小開校当時の野川小PTA会長)の話

 昭和30年代から始まった東急による野川台の開発によって、野川の町の人口が急激に増え、野川小学校はパンク状態でした。そこで、
南野川小、西野川小がつくられることになり、西野川小は敷地決定してから7年もの年月けて開校することができました。谷戸てていく工事は、1日に何十台ものトラックが往復して土砂ぶため、防音振動をめぐるいが何度も行われました。また、校舎ができたも、野川の町全体で西野川小をバックアップしようということで、古紙回収などをして寄付を行いました。そして、開校の時は、地域たちが協力して、たくさんの樹木えました。それらの木々が今も西野川小にはっています。

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